ヴァイオリン弾きの手帖
ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃
第129回
今日は、あれについて考えてみる。
-Vengerov
-Kyung-Wha Chung
あなたも彼女に手を振って、
ヴィブラートをマスターしよう♡
ヴィブラートの違いを堪能しよう。
-Sarah Chang
-Anne-Sophie Mutter
Sempre vibratoの真髄
-Heifetz
あれとは、“ヴィブラート”である。
それでなくても、技術習得法を文章で説明するのは難しい。
ましてや、“ヴィブラート”と“スピッカート”は、
長年、多くの指導の現場で、『教え辛い課題トップ2』に君臨し続けているテーマだ。
「筆で」となると、慎重にならざるを得ない。
しかし。
“脱力”を採り上げた際、たまたまネットで発見した、
「ヴィブラートはこうだ!」的動画たちが、頭から離れない。
ヴィブラートはこういうものです、こういう練習をしましょう、
真剣にお手本を示し、語り続ける動画の中のヴァイオリン弾き達。
う~ん、そう教えちゃっていいのかな。それ少し違わないかな。
ところどころに小さな違和感を覚えながら、それでも見続けていると、
それはやがて気掛かりになり、積み重なって不安になり、
今や、大きな懸念材料になってしまった。
「動画のヴィブラート指導」すべてに問題があるという訳ではない。
なにしろ、驚くほどの数がある。そこには、一般的に、
指導業界でも効果的であろうとされている練習方法や、
正しい理論を紹介しているものもあるし、その中には、
なるほどと思わせてくれるものもあって勉強にもなる。でも。
もちろん、ヴィブラートに正解はない。
本人がよいと思えば、それでいい。
それを享受する聴き手がいれば、それでいい。
そういうものであり、そういう世界である。でも。
それを必要とする人は切実、アドバイスする人も真剣、そこを考えると、
その存在を強く否定したくはないという気持ちもある。
動画指導は、諸事情でレッスンに通えない人には有り難いものだ。
実際、ヴァイオリン界でも根付き始めている気配がある。でも。
昨今の視聴者は賢い。情報が玉石混淆であることを知っている。
すべてを鵜呑みにせず、あくまでも参考資料として、
上手に利用してくれているに違いないと、自身に言い聞かせながら、
画面の中の彼や彼女のヴィブラートに、そしてその説明に、
あれこれ突っ込みを入れては、不安を打ち消す、
ちょっと意地悪で情けないヴァイオリン弾きである。
☆
どうすれば“ヴィブラート”ができるようになるか、
その練習方法を誌面で説明するのは、本当に難しい。
とはいえ、
どういうヴィブラートが問題か、そのヴィブラートの何が問題なのか、
それを指摘することは、比較的容易い。
なので、今日はそれに挑戦してみたいと思う。
―指をグッと押さえ過ぎている。
多くの左手の悩み=「ヴィブラートが掛からない」とか、
「指が回らない(指の動きが鈍い)」とか「シフトが上手くいかない」とか、
それらは大概、手や指に力が入っていることに起因している。
「音程が悪い」原因も、「音質や音色が悪い」原因もそこにあったりする。
ヴィブラートには当然、力は一切必要ない。いや“力”は邪魔だ。
ヴィブラートを掛ける時は、掛けない時よりも更に力を抜いている、
元々、そんなに弦を押さえ付けなくても、音は出る。
例えば、ハーモニクスにトライしたとき、
一所懸命、指を浮かせて、弦に触るだけにしているつもりなのに、
なぜか実音になってしまう、なんてことはないだろうか?
つまり、その程度でも音にはなるということ。
普段から指を押さえ過ぎている人は、まず、身体の力を抜き、
指を浮かせる(弦には触れたまま)練習から始めるよう指導される。
―楽器が揺れてはいけないと思っている。
「手を揺らすと、一緒に楽器が揺れてしまうんです」
そう訴えられること多数。シフトの時だって楽器は揺れている。
諸事情で楽器は揺れたり動いたりする、そういうものだ。ご安心を。
慣れれば、右手はそれに十分対応できる。揺れを止めようとして、
楽器をガッチリ持ってしまうことの方がよくない。
余分な振動を吸収できなくなり、逆効果になってしまう。
ちなみに、「ヴィブラートを掛けると、エンドピンが喉に刺さる」
なんて訴えも数回あった。(痛そう…)。こういう人は、大抵、
楽器を喉に押し付けるようにして持っている。楽器と喉の間には、
空間があるのが普通。シフトなどの衝撃もこれで削減している。
―手や指先をウニウニグニグニ動かしている。
ヴィブラートは「指を立てたり寝かせたりして」行うとか、
「手首を支点にして」動かすといった説明を見ることがある。
言わんとしていることは分かるし、実際にそう見えるものもある。
『指のヴィブラート』『手首のヴィブラート』『肘のヴィブラート』、
こういった名称も飛び交っている。
(この「3種類の方法がある」との説明が多い)
「=指の付け根あるいは第一関節をわずかに動かす」
「=肘は動かさずに手首を動かす」
「=手首は動かさず肘から指全体を動かす」
という解説がそれぞれに付く訳だが…。
この説明、間違ってはいないが、誤解を招きやすい。
問題点は、「部位の指定」と『動かす』という語彙にあるようだ。
ヴィブラートの上手な人は、当人の意識として、
『そこ』を『動かして』いるつもりはないはずだ。
それに、動作としては、「動かす」のではなく、
どちらかというと、「振る」に近い感覚のものだと思う。
子供がバイバイするときみたいな、そんな柔らかな感じ。
「動かして!」と言うと、力が入ってしまう人が少なくない。
結果、その動きはウニウニグニグニになってしまって…。
肘位置と指先を固定した状態で、無理に手首を動かそうとして、
手首自体がペコペコと出たり入ったり、肝心の指先が動いていない、
なんて状況に陥ることも、ままある。
「え、でも、練習方法に指先をウニウニさせるの、ありますよね?」
確かに、指先を大きな振幅でゆっくり動かす練習はある。
ただ、これは、指の動きと、指先で作る音高の幅を意識するためのもので、
脱力の練習のために行っているものではない。而して、
そのまま速く動かせばヴィブラートになる、というものでもない。
腕を使うにしても、手首を使うにしても、身体の構造上、
大きくは振れない方向がある。まず、振り易い方向を見つける。
次に、その運動を指先まで届ける。(言うのは簡単だ)。
あれこれ言っても、よくよく見れば、
超一流の人たちのヴィブラートは、根本的には「同じ」だ。
[身体の構造]×[姿勢&構え方]=[ヴィブラート]
動きも方向性も、自ずと定まるということだろう。
後は、
より自分に合ったヴィブラートを見つけること、
より多くのヴァリエーションを獲得すること、
それをコントロールできるようになること。
―手を大きく動かしている割に、音に変化がない。
腕や手は振れているのに、肝心の指先が動いていない、
掛かっていても幅が狭い、このパターンは非常によく見掛ける。
自覚がある人はまだよい。自覚がない場合もあるので要注意。
―ヴィブラートの幅が狭い。
そう、ヴィブラートには『幅(振幅)』と呼ばれるものがある。
あなたのヴィブラートの幅は、どれ位だろうか?
「え~、分かんな~い」 ならば。
普段より、少しだけ指を弦に押し付けるようにして、
ヴィブラートを掛けてみる。すると、ほら、
指先に、あなたが今掛けていたヴィブラートの幅がクッキリ。
普通に置いた時と変わらない? それは非常に残念。
―ヴィブラートが、異常に細かく速く掛かる。
『痙攣ヴィブラート』『ちりめんヴィブラート』といった呼称がある。
これに関してはちゃんと、よくないものだという一般認識があるようだ。
力が抜けた状態で、このヴィブラートを掛けている人を見たことがあるので、
一概には言えないが、力むと出る「震え」と同じ症状とも考えられる。
緊張したときにこうなることがある。『ビビラート』と言う。笑えない。
―ヴィブラートが尖っている。
ヴィブラートの両端で動きが一瞬停止し、クキクキした動きに見えるもの。
手首から先を無理矢理振っていたり、力の抜け方が中途半端だとこうなる。
筋肉の柔軟性が必要なので、手首を柔らかく振る運動などをするのも効果的。
―ヴィブラートが常に掛かっている。
意識して“Semre(常に)Vibrato”にしているのなら、問題ない。
指を置くと掛かってしまう=“癖”になってしまっているのなら、
それは問題だ。全部の音に全部同じヴィブラートを掛けてしまったら、
掛けていないのに等しいとも言える。そこには意思が必要だ。
―ヴィブラートに家庭の事情が出ている。
掛けやすい指にだけ、ヴィブラートを掛けていないだろうか?
―なんでも掛ければよいと思っている。
ヴィブラートさえ掛ければ、音楽力がアップすると思っていないだろうか?
ヴィブラートの掛け過ぎについては、モーツァルトの父、
レオポルト・モーツァルトが懸念をその著書で表明している。
フレッシュも同様に、それについて書いている。
この問題は(それを問題というなら)、多分、
これから先もずっと、ヴィブラートと共に在り続けるだろう。
忘れもしない、ある日のレッスンで出された宿題、
「バッハの無伴奏ソナタ第1番全曲、ノン・ヴィブラートで弾いてきて」
ヴィブラートについて集中的に勉強した直後の、敢えてのこの課題。
このタイミングで? なぜ? なぜノン・ヴィブラート?
「ちゃんと曲らしく仕上げてきてね」
ひぇ~っ、師匠! それは余りにも残酷というもの…涙。
―ヴィブラートを掛けることで、逆に音楽を壊している。
ヴィブラートが、一つずつで止まってはいないだろうか?
ヴィブラートを掛けることで、音に<>が付いて、
右手で言う「中膨らみ」と言われる音と同じものになることがある。
ヴィブラートを急に掛けることで、アクセントが付いてしまい、
フレーズを崩してしまうこともある。
これらは、ヴィブラート・テクニックの一つだ。
使い方を間違えると…という話。
注意すべきは、そうなっていることに、
本人が気付いていない場合があるということ。
掛けるだけで、自分が出した音を聴いていない?
―ヴィブラートが常に同じ幅、同じ速度である。
規則的なヴィブラートをマスターすることは、初期課題。
それをマスターできたら、ぜひ次の段階にいきたいものだ。
ひとつの音の中で、ヴィブラートを変化させることができる楽器は少ない。
使わなければ、もったいない。めざせ! 変幻自在のヴィブラート!
―ただ動かすだけで、掛ける方向を意識していない。
基本ということで言えば、ヴィブラートは
「下向き(音高の低い方に向かって)」に掛けるのが、基本。
上向き要素だけにしてしまうと、音は上ずって聞こえる。
下向きのヴィブラートをマスターした上で、
大きく掛けたいときは「+上向き」で、幅を広げる。
ハイポジションは逆に、下向きに掛けると音程がぶら下がって聞こえる。
上向きに掛けると華やかな音になって「Theヴァイオリン」的音になる。
―すべての指を同じ方法で掛けようとしている。
手の構造、その動きということで考えれば、当然、
各指で、掛かりやすい&掛けやすい方向が違うはずだ。
同じ向きで掛けなければならない理由などない。
各指ごとに、得意な方向を探してみよう。
小指のヴィブラートは掛けにくいが、練習はしておいた方がいい。
が、それよりも先に獲得すべきは、人差し指のヴィブラート。
これを苦手とする人が、案外多い。そちらを優先して練習しよう。
小指のヴィブラートを避けることは、比較的簡単だが、
残念ながら、人差し指はそうそう逃げてはいられない。
―フィンガリングを考慮していない。
指によって、得意不得意があるのだとするならば、
それを考慮したフィンガリングにしなければならないのだが…。
「この音、いっぱいヴィブラート掛けたいなぁ。あれ4の指だ、どうしよう。ま、いいか」
書いてあるフィンガリングは、あくまでもアドバイスである。
自分(の指)に合ったフィンガリングを考慮されたし。
ちなみに。
音色や音質、その本質的な部分を創出しているのは右手である。
ヴィブラートは、それに表情を付けるためのもの。
右手で、ゴリゴリガリガリ弾いて出した汚い音を、
ヴィブラートで誤魔化すことも、カバーすることもできない。
もちろん、音程が悪いのを隠すこともできない。
あしからず。
☆
大学生の時だった。今のままのヴィブラートではダメだ、
そう言われ、左手のスタンスから変えて勉強し直すことになった。
構え方を変え、いざ、ヴィブラートを掛けようとすると、
全く手が動かない。頭は真っ白、目の前は真っ暗。
同じく在学中、ヴィオラを弾くようになってすぐのことだ。
ヴァイオリンのヴィブラートでは全然足りないことに気付く。
頑張っても、蜂がブンブンいっているようにしか聞こえない。
なので、また左手のスタンスから変えて勉強し直すことになった。
構え方を変え、いざ、ヴィブラートを掛けようとすると…。
まさか、大学生にもなって二度も、
ゼロベースからの挑戦をすることになるとは。
DVDやネット動画のような参考になるものは何もなかった。
誰も、練習の仕方なんて教えてくれなかった。だから、
できるようになった時は本当に、本当に嬉しくて。
鬱々としたあの時間は、今思えば非常に有意義な時間だった。
アマチュア界には、ヴィブラートは最後の課題だという意識の人が多い。
「左手が安定しないうちに学んではいけない」という説にも一理ある。
そのタイミングは、師がいるならば、師に預けるものである。
ただ、今すぐ、ヴィブラートという形にしないまでも、
手の力を抜いて、手を振る位の練習はしても構わないと思う。
実際それをすることで、構え方がよりよいものになったり、
力が抜けて、他のテクニックができるようになった例も見る。
蟻の思いも天に登る。
応援してる!
正統派ヴィブラート。
楽器、揺れてます。
掛け方が特徴的な
チョン・キョンファのヴィブラート。
構える角度による掛けられるヴィブラートの幅の違い
ハイフェッツはヴィブラートも優等生。
-Shtern
-Gitlis
必要なところにだけ掛けています。
ヴィブラートで一音一音途切れたりしません。