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玉木宏樹さん(http://just-int.com

Hiroki Tamaki:1943〜2012年

 

神戸生まれ。1965年、東京芸大ヴァイオリン科卒業。作曲は10歳より始める。学生時代から、東京交響楽団の団員となるが、集団生活になじめず逃亡。また平均律跋扈のクラシックに根本的疑問を抱きドロップアウト。

 

山本直純氏に作曲と指揮を師事し、映画やTVドラマ等で作曲活動開始。一方演奏活動の方では弦楽四重奏団を結成し、クラシックだけではなく、全員エレキ化して、ジャズやロックシーンにも進出。

 

作品としては、MIDI出現以前に7台のシンセサイザーとフルオーケストラとのための交響曲<雲井時鳥国(くもいのほととぎすこく)>をライヴ録音し、話題となる。その他、ピアノのための練習用組曲「山手線」以下多数。TVは「大江戸捜査網」(テレビ東京)「おていちゃん」(NHK朝のTV小説)「怪奇大作戦」(円谷プロ)他多数。CM千五百曲。純正律にこだわり続けて30年。ソニーより、日本初の純正律CD「ピュアスケールによる理想的ストレス解消」リリース。その他CD多数あり。

 

玉木先生は、いろいろな才能の持ち主だった

 

玉木先生はポリリズムの天才であった。

 

ポリリズムとは、この場合、訳すと複合リズムということになる。

つまり、三拍四連とか四拍三連といった、一見割り切れそうに見えないリズムのことだ。

勿論、割り切れなくはなく分析すれば、きちんとしたリズムである。

 

玉木先生は、このポリリズムを非常に重要視していた。というより根本の基礎として考えていた。おそらく、私がしつこく言うグルーヴも、ポリリズム次第ということもあるように思う。これは言ってみれば、強迫の移動であるから、シンコペーションも仲間だ。

 

この強迫の移動こそがグルーヴの源の一つなのではないか、と思う。であればロックやジャズの世界の方で盛んに言われるのはごくごく自然のことだ。

 

たとえば、楽譜例のように、なんでもない3連符くくりを16分音符に組み入れ、アクセントの位置をずらしながら演奏すると、とてもスリリングなドライブ感が出てくる。これこそがグルーヴなのではないか。返す返すも、グルーヴの話を展開する前に玉木先生が亡くなられたことが残念でならない。

 

しかし材料は残してくださった。これからいくらでも話が展開できるだろう。

 

玉木先生はヴィブラートの天才であった。

 

玉木先生とはよく論争になったが、ヴィブラートもよく問題になった。曰く、ヴィブラートは、その音の音程の上下にかける、というのが玉木流。それに対し、ヴィブラートの音程の天辺がその音の音程、という理論もある。

 

これは、大論争になった。これは正直、いまだによく分からない。

どちらのやり方にしても、演奏家次第、なのではないか、と私は今のところ思っている。指の長さも形も、人間の数ほど、肉体的な違いがあるのだから、同じヴィブラートのかけ方をしたつもりでも、違って聞こえてくることもあるだろう。

 

玉木先生の手というか指は、しなやかであった。指先の関節より先の骨がしなるくらい柔らかかった。そして、指の回りの速さは信じられないほどだった。当時は、こういう演奏家が何でクラシックのメインシーンにいないのか、不思議に思ったものだ。

 

玉木先生はアドリブの天才であった。

 

玉木先生は、バークリーの教本に興味を持たれたらしい。バークリーというのは、アメリカのボストンにあるバークリー音楽大学である。ジャズが課程の中心となっている。

 

であるからか、玉木先生はアドリブが素晴らしかった。アドリブはどうやってやるのか、その発展していく様も教えてくださった。クラシック奏者もアドリブをやった方がいい、というのが玉木先生の持論だった。少なくとも、作曲・編曲はやった方がいい、とよく言われていた。

 

私は、分業の進んだ時代に、そんな大変なことを、とよく思ったものだが、結局は、それが演奏の向上につながるのだなぁ、と思わされたものだ。「もっと頭を使って弾け」とよく言われていた。

 

すぐ激怒する玉木先生は、スタジオでの仕事で、演奏者からアドリブができない、譜面にしてくれないと弾けない、と言われると相当頭にくるらしく、「じゃあ書くぞ! いいんだな!」と言ったらしい。楽譜にできてきたものを見ると、さらに弾けないということもあったという。

 

アドリブは、自分の感性を、そして心を最も表現する場なのではないか。もし、演奏家が作曲家のしもべであるならば、せめてアドリブで自身を表現することくらい許されるのではないか、と思う。アドリブといっても新しい譜を即興で作るとは限らない。ふだんしていないような演奏や解釈をその場の雰囲気に応じて咄嗟に出すのも、アドリブだと私は思う。

 

コンチェルトのカデンツァは、誰それ版のカデンツァもいいが、演奏家自らが作っていいのだから、もっといろいろ進化する余地のあるところのように思う。実際、ごく希であるが、そういう演奏家もいる。

 

玉木先生は、移調読みの天才であった。

 

玉木先生はどんな曲でもたちどころに、どんな調性にも移動して読むことができた。

 

普通、移動ド読みができると移調読みがしやすい、とは聞いたことがあるが、世の大半は固定ド読みであるから、けっこう大変なのではないか。固定ドで移調ということは、言うまでもないが音名も変わってくる。それを一瞬にしてやるわけだ。これは幼少から音楽学校や音楽大学で訓練している方はできると思うが、それでもけっこう大変なことなのではないか。

 

この譜読みのテーマがきっかけで、音階の謎、モード…と話が展開していったのであるが、このテーマはまたいずれ取り上げたい。

 

というわけで、どんな世界にも凄い人がいるが、音楽の世界の玉木先生には、どう努力しても、かなうことは一つもないと思ったものだ。

 

玉木先生は、絶対音感と相対音感の両方を持っていた。

 

最終的には、玉木先生は、固定ド絶対音感教育を否定されていた。これは純正律を実現するには、絶対音感はかえって弊害になると主張されていたからである。私は元々絶対音感はないが、管楽器奏者には、絶対音感よりは相対音感というイメージはあった。

「ほぼ絶対音感」プラス「相対音感」くらいが実用的なのではないか、と私は今のところ思う。玉木先生もそう仰っていた。

第14回 ヒューマン・リスペクト 玉木宏樹先生(その4)

今週の青木節 アッコルド編集長 青木 日出男

© 2014 by アッコルド出版

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