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我々がクラシック音楽を聴いて感動するとき、いったい、何に感動するのであろうか?

 

理由はいろいろあるかもしれない。が、一つには、『音程』ではないだろうか、と言ってみたい。『音程』の良い演奏に感動するのではないだろうか、と。

 

今簡単に、音程が良い演奏と言ったが、しかし、そもそも音程が良いというのはどういうことなのだろうか? 言い換えれば、我々はどうして音程が良い悪いと思うのだろうか?

 

それは単に、指を外す外さないの問題だろうか。仮に指を外さないで“正確”に置けたとして、果たしてそれは何の音律なのか? 平均律? 一番身近にある“基準”はピアノの平均律であろう。我々は平均律の耳で音程の良い悪いを感じるのだろうか?

 

『音律』は、平均律だけでなく、いろいろあった。いや、今でも存在している。代表的なものに、『ピタゴラス音律』、『純正律』があり、その他に『中全音律(ミーン・トーン)』『ヴェルクマイスター音律』『キルンベルガー音律』……そして我々が最も馴染んでいる(?)『平均律』。

 

平均律は、そもそも根本的に妥協の産物であることは誰もが知っていることだ。この平均律の音程に何の疑いもなく、すべてをそれに合わせて演奏していいのだろうか? 現に平均律での長三和音は濁っているから、第三音を低めにすることを我々は経験的に知っている。逆に第三音が低いままに旋律を演奏したら違和感を感じることも知っている。そのような理屈を知っていても、いざ楽曲を目の前にしたとき、我々は見て見ぬふりをすることもあるのではないだろうか? あるいは、それどころではないと言うのだろうか?

 

いろいろな疑問が湧く。この疑問を『音律』を追求することによって解くことができないだろうか、というところにこのシリーズの出発点がある。果たしてその向こうに至福の世界があるのか? これから様々な角度から探ってみたい。

 

もうすぐ、三回忌を迎えるヴァイオリニストで作曲家の玉木宏樹さんとの出会いのきっかけはなんだったの、よく覚えていない。ただ、純正律の啓蒙者であることがどこからか、伝わってきたい。『純正律』(just intonation すべての音程間隔を純正にしようとする音律。主要和音において最も美しい響きが得られる。長三度の音程は平均律に較べて低めになるが、この音程が最もハモる。転調が困難などの問題もある)の世界を取り戻すことを訴えて続けている。

 

『純正律音楽研究会』を主宰し、音楽活動も作曲、編曲、ヴァイオリン演奏、大学での教鞭など多岐にわたっていて、音律のテーマを扱った著書も多い。

 

その玉木さんの門を叩いたのが最初だった。そのときのことを振り返りたい。

 

玉木さんに編集者の拙い音楽体験から聞いていただいた。

 

——私は学生時代、吹奏楽の世界を体験しているのですが、今思えば吹奏楽の世界では『純正律』の世界をけっこう現実のものとしていました。

 

玉木「それはそうでしょう。自然にそうなりますよ。そうでないと体に悪いから。」

 

——その後、オーケストラの世界の魅力に惹かれて、自ら体験し続けているのですが、どういうわけか、オーケストラの中では、純正律というものを意識することが非常に少なかったと思うのです。『純正律』の世界を別に忘れていたわけではないのですが、横目で見ながらやっていたわけですね。

 

もちろん、演奏していて本能的に『純正律』になっていた場合もあったのかもしれませんが、意識して演奏することがなかったように思います。自分は今『平均律』らしきものでやっているのかな、と思ってみたり。

 

ところが、あるとき、あるオーケストラで、『純正律』の存在そのものを知らない、という人に出くわして驚いたことがあるのですが、このことがきっかけで、音楽演奏に関わるいろんな人に、『音律』に対してどのように思っているのか、『純正律』や『ピタゴラス音律』(Pythagorean scale 純正五度を次々と積み重ねる方法で得られる音階だが、長三度が協和しない。ソロ演奏に向いていると言われる)、『平均律』に対してどのような認識を持っているのか、聞いて廻ってみたいと思ったのです。プロやアマチュアから、いろんな話を聞くことができました。

 

もちろん、意識されている方もいましたが、多くは以下のような意見でした。

 

●音律なんて…皆それ以前だよ。

●知っているけれど、それが演奏にどう関係するのか知らない。

●知っているけれど、厳密に使い分けていないし、弦楽器のセクションでは、まず音を合わせることが先で、『音律』なんてやってる余裕もない。それどころではない。

●『音律』は意識していないけれど、結果的に、『純正律』の方がいいところでは『純正律』になっているのではないか。ソロもソロに最適と言われる『ピタゴラス音律』らしきものになっているのではないか。

●オーケストラの場合は『平均律』らしきものになっているのでは。

●『音律』はもの凄くいろんな種類があるから、やり出したらきりがない。やってられない……

 

と、いろいろあったのですが、これは、結局、皆バラバラの意識でやっていたということになるわけで、これでは音が合う方が不思議だと思いました。

 

こうなるとトゥッティの奏者は、自分の思う音程どころではなく、機械的に前に合わせざるを得ないこともあろうかと思いました。

 

面白いことに、私が、いい音程の人だな、と思う人ほど、音程、『音律』にこだわっていて、しかも、決して自身の音程に満足していない、という傾向がありました。

 

中学生や高校生が具現化している『純正律』の世界を、かたやオーケストラでは、あまりに重要視していない、あるいは見て見ぬふりしていたのではないだろうか、私はそこにずっとどっぷり浸かっていたにもかかわらず、改めて疑念にかられて自分自身驚いたわけです。何故このことをもっと早くテーマにしなかったのか。

 

『純正律』を提唱し続けている玉木宏樹さんに、ヴァイオリニストとして、また作曲家としての立場から、是非、御意見をうかがいたいと思います。

 

純正律の世界を体験すること

 

玉木「みんな不勉強ですよ。そういう話を聞くと本当に頭に来る。世の中には『音律』に関する書物がたくさんあるのに何も勉強していない。例えば、『ヴァイオリンの音律・歴史的外観』という本があるんですが、この中にモーツァルトのお父さんが言ったことが書いてある。

 

 〈『ミーン・トーン』(譜例参照mean-tone temperament 中全音律・七世紀から十八世紀くらいにかけて使われた長三度の響きを重視した音律。純正律に近い。アマデウスはこれを主張していた)のピアノに合わせるには、調弦は完全五度で合わせてはならない〉とある。何故ならミーン・トーンの完全五度というのは狭いから。

 

それから、ミーン・トーン時代では、ドからレに行くときのドの♯というのは現代のヴァイオリン奏者が弾く音よりも低かったんです。『純正律』でもそう。

 

でも、現代では、ドからレへ行くときのドの♯は限りなくレに近いところを押さえろ、と言う。反対にレからドへ行くときのレの♭は限りなくドに近いところに行け、と言うわけです。そうすると、現代のヴァイオリン弾きはレの♭がドの♯より低いわけですよ(譜例参照)。これは実は『ピタゴラス音律』なんです。

 

そもそもヴァイオリンの調弦そのものは『ピタゴラス音律』です。完全五度で調弦しますから。

 

『順八逆六』(譜例参照)というのはお琴の調弦法ですが、これはヴァイオリンと同じ調弦、音律なんです。ピタゴラスなんです。

 

僕はヴァイオリンとお琴の曲を書いたら、本当に新しい経験をしました。バックが『平均律』でも『純正律』でも、完全五度で合わせた開放弦というのは音がぶつかって弾けないんですが、それが順八逆六のお琴だと、開放弦が本当に綺麗なんです。楽なんです。ピアノは『平均律』だから、開放弦は全く使えない。それがお琴とやったときは見事に美しい。開放弦がこんなに綺麗なのかと思う。(ところが、邦楽の世界はこれまた、順八逆六を捨てて、『平均律』のチューニングでやっていたりする。何をしているんだ! って僕は怒ったことがある。昔から伝統的な世界に冠たる順八逆六という調律法があるのに何をやっているんだ)。とにかく今のヴァイオリン弾きはレの♭よりもドの♯の方が明らかに高いんです。

 

それは、19世紀の中頃にそうなった。それまでの『純正律』やミーン・トーン的な音程の取り方では、そうはならない。というのは、ドの♯はラ(A)に対する長三度ですから、低くとらないとラとドの重音が合わない。ミーン・トーン時代やタルティーニ時代の『純正律』時代のヴァイオリンの音程というのは、ドの♯は今のヴァイオリン弾きより明らかに低いんです。そういうことすらみんな研究していないでしょう?」

 

——私は、音律というものは、もしコントロールできるのなら、場合によって使い分けた方が面白いのではないか、と思いはじめていますが、みんながみんなそう思うわけでもないようなんですね

 

玉木「まずね、『純正律』でハモるということがどういうことなのかをみんながやらなさ過ぎるんです。

 僕は日本で初めて『純正律』のCDを出しましたが、どうやったら『純正律』になるのか練習すればいいんです。」

——その世界を一度でも体験したら、これは麻薬みたいなものでしょう。でも、楽曲の中でそのトレーニングをすることは大変困難ではないでしょうか?

 玉木「注意深く合わせることに専念して、ヴィブラートをあまりかけなければいいんです。」

 

ロンドン・フィルに純正律で演奏してもらう

 

——クヮルテットのような編成はともかく、オーケストラのような大所帯で『純正律』の世界を築くのは可能なのでしょうか?

 

玉木「可能です。何年か前に、僕はロンドン・フィルを振っているんですが、そのとき『純正律』で演奏してもらったことがある。

 

僕が自分でヴァイオリンで弾いて示して、『純正律』の音程で弾いてくれと言ったら、オーケストラの皆は理解してくれた。分かっていないのは、コンサートマスターとフルートだけだった。何故ならコンサートマスターは皆を引っ張って行こうとするから、いつも音程が高いわけ。フルートは元々楽器の音程が悪いわけ。

 

いずれにしても、ロンドン・フィルは『純正律』で演奏してくれた。そのうちハープ奏者も気持ち悪がって、曲も複雑ではなかったので『平均律』のチューニングから『純正律』のチューニングに変えていました。それは当然そうなるでしょう。ドミソがハモるためにはそうしなければならないのだから。」

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

玉木ワールドへの招待1

玉木宏樹さんとの出会い(その1)

取材・青木日出男 編集協力:純正律音楽研究会

 Hiroki Tamaki(1943年〜2012年)神戸生まれ。1965年、東京芸大ヴァイオリン科卒業。作曲は10歳より始める。学生時代から、東京交響楽団の団員となるが、集団生活になじめず逃亡。また平均律跋扈のクラシックに根本的疑問を抱きドロップアウト

 

山本直純氏に作曲と指揮を師事し、映画やTVドラマ等で作曲活動開始。一方演奏活動の方では弦楽四重奏団を結成し、クラシックだけではなく、全員エレキ化して、ジャズやロックシーンにも進出。作品としては、MIDI出現以前に7台のシンセサイザーとフルオーケストラとのための交響曲<雲井時鳥国(くもいのほととぎすこく)>をライヴ録音し、話題となる。

 

その他、ピアノのための練習用組曲「山手線」以下多数。TVは「大江戸捜査網」(テレビ東京)「おていちゃん」(NHK朝のTV小説)「怪奇大作戦」(円谷プロ)他多数。CM千五百曲。純正律にこだわり続けて30年。ソニーより、日本初の純正律CD「ピュアスケールによる理想的ストレス解消」リリース。その他CD多数あり。

 

 

http://just-int.chu.jp/index.html

 

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