若い世代のオーケストラや吹奏楽を聴くことが、この一年、多々あったのだが、まず全体のレベルの高さに驚いたものである。
しかし、何か演奏に没頭できない。何故だろう。
ダイナミックスの幅が狭いから?
グルーヴ感の無さ?
いや、そういったものではない。
ふと気がついた。
例えば、管楽器のソロの場面で、
ヴィブラートをかける人がまずいないのだ。
これは、現代の若者達に共通していることなのだろうか。
何故、ソロでヴィブラートをかけないのか。
尤も、趣味の悪いヴィブラートをかけるくらいなら、かけない方がいいという考え方もあるだろう。
ただ、人間の心の襞を表現する音楽にヴィブラートがかかってくることは自然の成り行きのように思うのだ。無意識のうちにもかかるものであると思う。
私のこれまでの音楽体験からいろいろ思う。
それは、結局個人の好みなのかもしれないが、
音楽には、いろいろな表情があるわけで、
そこにはノン・ヴィブラート奏法もあれば、
ヴィブラート奏法もある。
さらにヴィブラートには様々なものがある。
こういったものがせっかくあるのに、まるで使わないのは勿体ない。
しかし、使わなくてもいいと思う感覚があるから使わないのかもしれない。
それは、何が影響したのだろうか。
世界的に流行していたノン・ヴィブラート奏法の影響なのだろうか。
もしかすると、ゲーム音楽の影響なのだろうか。
私はコンピュータゲームやタブレットのゲームのようなものは全くやらないのだが、そういったゲームで流れている音楽は、99パーセント、ストレート・トーンであろう。その影響なのだろうか。
先日、ある学校の楽団のコンサートを聴いたのだが、司会の方のトークが、まるでコンピュータで合成したかのようなトーンなのだ。ここにも影響があるのだろうか。
最近の学校吹奏楽での指導は、音を合わせたり、ハーモニーを合わせたりするために、キーボードを使うことが圧倒的に多い。
これは音を合わせるのには手っ取り早い方法であるには違いない。
当然、ストレート・トーンで合わせるから、ここでもヴィブラートは出てこない。
こういったものが影響して、現代の趨勢としては、ノン・ヴィブラートなのだろうか。
ヴィブラートは、装飾だから、それは演奏者に委ねられるものであるに違いない。であるから、強制することなど勿論できない。
また、ごまかしでヴィブラートをかけることも好まれないだろう。
ただ、これは、私の耳だけなのかもしれないが、
ノン・ヴィブラートのロング・トーンは、
会場の客席で聴くと、相当な奏者でないと、音程が下がってくるように聞こえる。
かなり意識しないと、ノン・ヴィブラートで音程を維持するのは難しい、と私は思う。趣味の良いヴィブラートは、音楽が先へ先へと動いていく。躍動感がある。
第17回 ヴィブラートをかけないと音程が下がる?