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第7回大阪国際室内楽コンクール第1部門覇者のアタッカ弦楽四重奏団(以下Q)と共に筆者が北米をうろちょろしていた丁度その頃、日本列島では第8回大会覇者のアルカディアQがツアーを行なっていた。
 
大阪大会各部門優勝団体にとって最も大きなご褒美のひとつが、大会事務局たる日本室内楽振興財団が差配する「グランプリ・コンサート」である。第1部門の弦楽四重奏団は、毎回5月の大会から半年ほど経った秋の終わりにツアーを行なうのが恒例となっている。未だ大会の記憶も冷めやらぬタイミングなだけに、演奏する側にしてもスタッフにしても、「久しぶり」というよりも、「おや、もう半年経ってしまったのか」という感の方が強いかも。
 
そんなわけで、アルカディアQが再び日本に戻ってきた。10月の終わりから11月の半ば過ぎまで、ほぼ3週間という長いツアーである。些か技術的な議論をすると、日本室内楽振興財団が招聘するこの演奏旅行、極めて特徴的なのだ。現場をサポートする裏方のプロフェッショナルは入るものの、所謂クラシック音楽の音楽事務所が海外の演奏団体を招聘し営利目的で開催する興行とはちょっとばかり姿が違う。目的はあくまでも「グランプリ優勝団体を日本各地の音楽ファンに披露すること」で、もうひとつの目的は「優勝団体にプロとして長期間の演奏旅行という経験を積んで貰う」ことにある。
 
東京は津田ホール、千秋楽は懐かしの大阪いずみホールという室内楽ファンにお馴染みの演奏会場だが、それ以外の日本全国津々浦々は、大分の別府大学大分キャンパス、広島は庄原市民会館、京都は銅駝会館など、日本公演地リストには弦楽四重奏のマニアでもどこにあるか知らないような会場が並んでいる。要は、普段の室内楽愛好家とは違う方向に向けチャンネルを開く試みと、ポジティヴに捉えるべきなのかも。
 
ツアーに同行した財団スタッフに拠れば、そのような意図が最もはっきりとしていたのは、アンコールにあったという。メンデスルゾーンやハイドンを披露した演奏会の後、アンコールとして最初に披露されたのはバルトーク。番号付きの弦楽四重奏曲ではない。《ルーマニア民族舞曲》の弦楽四重奏編曲である。筆者も大阪で練習からこの作品の演奏を聴くことが出来たが、余り懲りすぎにならないとても良く出来た編曲で、去る5月の優勝決定後の緊急インタヴューで「バルトークは自分らの音楽です」と繰り返していた言葉を音で裏付け、万人に納得させてくれるものであった。
 
そしてもう1曲、各会場の最後の最後で披露されたのが、《花は咲く》だった。アニメ音楽の若き多彩な巨匠として世界的に知られる菅野よう子が、東日本大震災の復興応援のために作曲したチャリティーソングの弦楽四重奏編曲である。弦楽四重奏や室内楽の愛好家を越えた聴衆に直接アクセス出来、この楽譜を遠くルーマニアから来た団体がこぶしを含め違和感のないフレージングで謳ってくれる様子に、各地で涙を流す聴衆もあったとのことである。
 
 
大阪での最終公演を前にした貴重な休憩時間、明日はほぼ3週間ぶりに故郷に戻るというアルカディアQに、無理を言って10分弱を割いていただいた。この半年にあったことの全てを語って貰うのは不可能だし、本番前に疲れさせるようなことを尋ねるわけにもいかない。久しぶりに顔を見て、皆さん元気で良かったね、と挨拶するようなインタビューであるものの、以下、ほぼ全文を記そう。こうして、アルカディアQは日本での全ての仕事を終えた。東京公演でもマニア筋から極めて高い評価を受けたというこの団体、次に日本に登場するのはどのような形になるのだろうか。
 
――長いツアーの最終日に、再びいずみホールで皆さんにお会い出来て、幸せです。さて、大阪優勝の後、アルカディアQになにか変化がありましたか。
 
レスヴァン・ドゥミトル(Vn):はい。大きな変化がありました。私たちのマネージャーとの関係です。全体契約になりました。
 
アナ・トローク(Vn):それまでは英国内だけの契約だったんですが。
 
ドゥミトル:シネード・オ・キャロルというマネージャーさんです。
 
――その契約には大阪の優勝が助けになった、と。
 
アナ・トローク:私が思うに、昨年の秋にイギリス国内のみのマネージメント契約だったのですが、マネージャーが大阪の後に契約の規模をもっと大きくする決断をするのに、大阪は大きかったと思います。
 
――なるほど。で、この大きな日本ツアーの後に予定されているプロジェクトはどんなものがあるのでしょうか。
 
トライアン・ボアラ(Va):来年から、バルトークの全曲を演奏する大きな企画を始めています。
 
――どこの国で演奏なさるんですか。
 
ツォルト・トローク(Vc):録音する予定です。
 
――へえ。レーベルは決まってるんですか。
 
ボアラ:まだ判りません。でも、恐らく、イギリスの会社になると思います。
 
――以前のインタヴューでバルトークは自分らの音楽だと仰ってましたね。今、リハーサルを聴かせて頂いたら、最後にバルトークをやってたと思うんですけど。これからはレパートリーの中心になるだろう、ということですか。
 
ドゥミトル:そうです。
 
ボアラ:全曲を録音するのはとても大きなプロジェクトです。毎年2、3セッションずつ録音する予定です。
 
ドゥミトル:ライヴでも、次の3シーズンの演奏プログラムを作っているのですが、バルトークを2曲ずつ演奏していく予定です。
 
――演奏会や音楽祭の予定は。
 
ツォルト・トローク:多分、大阪の後は直ぐにベルリンに行き、コンツェルトハウスでルーマニア大使館文化担当官のコンサートで弾きます。
 
アナ・トロークとても大事なのは、バルビエ音楽祭に招待されたことでした。オールドバラのレジデンシィは決まっていたんですが、大阪の優勝の後、オールドバラ音楽祭がバルビエに私たちを推薦してくれたんです。
 
――では、大阪はなんかしら意味はあったんですね。
 
ボアラ:ええ、ヨーロッパからの距離はありますけれど、音楽業界関係者はみんな注目していましたので、大きな突破口になりました。
 
――世界中で演奏するようになったわけですが、あちこちの聴衆の前で演奏するようになって、アルカディアQとしての音楽的な変化はあると感じていますか。
 
ドゥミトル:勿論です。あちこちで演奏する機会が増え、聴衆とのコネクションをつくるのがより容易になってきているように感じます。表現の自由さが増えたというべきでしょうか。
 
――ところで、このツアーはいかがでしたか。
 
ツォルト・トローク:私たちにしてみれば、過去最高のツアーでした。
 
アナ・トローク:柳さんと吉田さんがとても良く差配してくださって、全てが分単位で設定されている。
 
ドゥミトル:それで、ちゃんとその通りになるんですから。
 
アナ・トローク:私たちは気にすることなどなにもなく、ただ演奏すれば良いだけでした。
 
ツォルト・トローク:それに、素晴らしい食事をいただくだけ。
 
アナ・トローク:そう(笑)。スゴイ食事ばかりでした。しゃぶしゃぶ、お好み焼き…。
 
――何か新しい発見はありましたか。
 
ボアラ:毎日新発見ばかりでしたよ(笑)。

長い日本ツアーの千秋楽は懐かしい大阪いずみホール。ほぼ満員の聴衆の前で、堂々たる演奏を繰り広げてくれた。

第73回

アルカディアQ

いずみホールに還る

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版

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