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『おみぃのおと。』

 

ヴァイオリニスト 尾池亜美

第2回 『パルシファル』

人って単純だよね、なんて言うけど、とんでもない、と私は思う。
特に、ワーグナーのオペラなんて聞いてしまったあとには、
ヒトが単純な生き物なんて到底思えない。
 
絵本にして子供に読み聞かせたら、
子供が寝付く前に終わってしまいそうな物語を、
4時間半ものオペラに作り上げてしまえるのが人間というものなのだ。
 
 
2,3日の空き日が出来てベルリンへ行った際、ワーグナーの『パルシファル』を観に行くことができた。
 
長いオペラで16時開演とある。昼間を無駄にするのもな、と思い、近くにあった動物園へ立ち寄って動物たちに癒されてから、ベルリン名物のカリーヴルストで腹ごしらえし、いざ、この公演へと向かった。
 
話をある程度予習して、覚悟を決めて行った私は良いが、急に誘われてついてきて、おまけにワーグナーにさして興味のない友人は、やはり半分以上寝ていたらしい。学生券で良かったネ。
 
私もこのジャンルはあまり聞く方ではないが、今回は作曲者や台本などの大元より、いまを生きて今この瞬間に演奏する人たちが、何を思って演奏するのか、ということに興味があった。それが生演奏を演る・聞く醍醐味だと思うからだ。
 
あらすじを読んでいると、どこか観る者を悟らせたがっているような内容である気がした。そうであれば、言葉の壁はあれど、4時間半のなかで、何か感じられることがあるかしら。
 
などと期待を抱いて行ったのだけど、一番印象に残ったのは案外、曲そのものの素晴らしさだった。
 
もちろん長い。でも長い中に、ひとつひとつの音の種から芽が出て、やがて長いツルとなってジャックと豆の木のあの巨大な樹に成長するような、凄さがあり、鳥肌が立った。
 
しかもそれが自然だった。自然体のものは本であれ音楽であれ、素直に鑑賞できて気持ちがよいものだ。
 
演奏者は、素晴らしい仕事をしていた。それ以上でも以下でも無かった。自分も演奏者の端くれだから、感動するものも薄れてしまうのだろうか?
 
登場人物は、ほぼ全員苦しんでいるはずなのに、
歌手は健康的に『歌いこなして』いたし、辛そうな音楽や救われた音楽が聞こえてこない、『気がした』。あくまで個人目線です(笑)素晴らしい演技ではあったのだと思う。プロの業でした。
 
また、聞きにいらしていた日本人の音楽ファンの方々の会話を聞いて(盗み聞きして)いる限り、演出の仕方や衣装の工夫の凝らし方、またいかに新鮮な試みがなされているかなど、話すネタには尽きないようであった。
 
けれど所詮分かる人にしか分からない会話だ。限られた楽しみだけのために、ワーグナーの音楽は存在するのだろうか?
 
うーん、そんなものなのかな。とにかく、曲を生で聴けたことは本当に有意義だったけれど、何をどう感じたら良いのか分からなかった部分もあった。
 
人間がどれだけ知識と理論と技術を集約しても、思うように共感し合えないこともある。それはちょっと切ない。
 
何もせずに、貰ったエサを食べて穏やかに生きている、檻の中の動物たちの方もまた、人を喜ばせるためにある。
 
どちらが良いか、と比べるのではない。ただ、単純にはならなくても自然体でありたい。
 
そう思った、複雑な一日であった。
 
 

Ami Oike

French Romanticism

尾池亜美 ヴァイオリン

 

尾池亜美(ヴァイオリン)

佐野隆哉(ピアノ)

 

セザール・フランク:ヴァイオリン・ソナタ・イ長調

カミーユ・サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ短調Op.75

クロード・ドビュッシー:夢

 

定価2,500円(税込)

 

http://p.tl/pSYE

今日はこの辺で。
アヴィーダゼン!

© 2014 by アッコルド出版

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