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2015年の聖書歴では、4月2日はイースター前の木曜日。カトリック教やギリシャ正教を国教としなくても社会構成員にキリスト教徒が多い文化圏ならば、イースター休暇が本格的に始まる前日だ。音楽系の学校は数日前からとっくにお休み。マンハッタンはすっかり休日気分で、市内のバスや地下鉄は昼間から家族連れでいっぱいだ。アタッカ弦楽四重奏団(以下Q)が2014-15シーズンのレジデンシィを勤めるメトロポリタン美術館も、裏手のセントラルパークも、イースター休暇を大都会で楽しもうとやってきた世界中の観光客で溢れている。
 
この時期に奏でられる音楽といえば、オペラハウスならヴァーグナーの《パルシファル》、室内楽会場や教会ならハイドンの《十字架上の七つの言葉》と決まっている。この時期には文字通りに巷に流れる「聖金曜日の音楽」という定番音楽が含まれる前者には、ここNYに至る前にヴッパタールとフランクフルトで2日続けて接することになった。そして、当地でアタッカQが聴かせてくれるのは、ハイドンがスペインの教会のために書いた、イエス受難の言葉を音楽化したアダージョ楽章の弦楽四重奏版である。
 
4年前の大阪国際室内楽コンクールで優勝する前から、アタッカQはマンハッタンの教会で「ハイドン68」と題するハイドンの弦楽四重奏全曲演奏シリーズを続けてきた。そんな若者達とすれば、名誉あるメトロポリタン美術館レジデンシィとしての最後の演奏会で披露するに相応しい「ハイドン弦楽四重奏全曲シリーズ特別番外編」である。
 
 
メトロポリタン美術館は、美術館のあちこちを舞台に自身が主催する音楽シリーズを持っている。規模や継続性だけから見れば、リンカーンセンター室内楽協会、ザンケルホールやワイルホールで行われるカーネギーホールの室内楽シリーズ、同じくセントラルパークに面したミュージアム・マイルの入口に鎮座するフリック・コレクションの日曜演奏会シリーズらと並び、メトロポリタン美術館はマンハッタンで最も活発な室内楽主催団体のひとつなのである。
 
セントラルパークを挟み反対側のアパートにチェロのダヴィッド・ソイヤーが住んでいた晩年のグァルネリQは、この美術館でレジデンシィとして活動していた。アタッカQも撮影に協力した映画『25年目の弦楽四重奏』のモデルがグァルネリQだったことは、ご存知の方はご存知であろう。あの映画のクライマックス、演奏会場での突然のチェリスト交代宣言の場面が撮影された場所こそ、正にメトロポリタン美術館オーディトリアムである。
 
グァルネリQ活動停止後の数シーズンはパシフィカQがレジデンシィを勤め、今シーズンはアタッカQがレジデントに任命され、美術館主催で4回のコンサートを行った。既に2015-16年シーズンの内容も発表されており、来シーズンは若手キアーラQがレジデンシィとなることが告げられている。以下の公式サイトをご覧になればお判りのように、世界中のあらゆるファインアーツを収集展示する巨大美術館だけあって、所謂「クラシック音楽」は音楽公演の一部に過ぎない。なお、このシリーズとは別に、メトロポリタン美術館所蔵の楽器コレクションを展示ケースから持ち出し演奏する小演奏会も、楽器展示室を舞台に頻繁に開催されている。
http://www.metmuseum.org/events/programs/concerts-and-performances
 
 
この会場のコンサートシリーズ、流石に「ナイト・ミュージアム」になってしまうといろいろと警備や管理上の問題があるためか、マンハッタンの演奏会には珍しく午後7時という比較的早い時間に開演となる。美術館そのものは午後5時半で閉館なので、聴衆は正面大階段右手の通用門のようなところから入場することになる。なにせ巨大な建築物だ、これといった掲示もないから、慣れないと入口を探すだけで一苦労。訪問予定のある方は要注意。
 
職員待合室のような場所を真っ直ぐ、突き当たった奥でエスカレーターを上がれば、そこは古代エジプト文明展示室の一部となる回廊だ。展示ケースにはミイラが収められ、グレイス・レイニー・ロジャーズ・オーディトリアムへの入口も、エジプト壁画風に飾られてている。1954年のオープンから美術館のレクチャーを始めコンファランス、コンサートなど様々な目的に用いられている708席の多目的ホールだ。正直、ホールそのものにはこれといった特徴はない、いかにも美術館の付帯施設である。バックステージと言える程の設備もなく、音響もいかにもアメリカンなドライな空間である。だが、グァルネリQに至るまでにも過去にここで繰り広げられた様々な名室内楽奏者達を思えば、嫌でも背筋を伸ばさざるを得まい。いわば、NYの文化会館小ホール、といったところだろうか。
 
ところで、弦楽四重奏版《十字架上の七つの言葉》は、数ある弦楽四重奏文献の中にあっても、演奏が極めて困難なもののひとつである。普通の意味での技術的な難しさとは、ちょっと異なる。無論、第1ヴァイオリンには演奏技術ばかりかプロフェッショナルの高度な表現力が必要とされるものの、楽譜そのものに「教会での聖金曜日の礼拝で用いるために、ちゃんと弾けるヴァイオリニストがひとりいればなんとか格好が付く」ことを目的に編曲されたのではないかと感じざるを得ない部分もあるのだ。後述のアタッカQチェロ奏者アンドリュー・ヨーに拠れば、ハイドン自身は何のコメントも残していないとのこと。少なくとも客席に座り無責任に耳を傾ければいい立場からすれば、ストレートに演奏されて50分に近い時間を音楽的に高い満足感を感じ続けるのは、些か難しい楽譜であることは否めまい。
 
そんなこともあってか、この作品の演奏は様々な演出を伴うことが珍しくない。ポジティヴな言い方をすれば、音楽家以外のアーティスト(及びプロデューサーやディレクターら)にも大きな霊感を与えるタイプの音楽のようなのだろう。筆者にしても、積み上げあられた書物の中で俳優の寺田農がイエスの最期の言葉を朗読しつつハレーQが演奏する舞台を筆頭に、印象的な演出を伴う演奏にいくつか接したことがある。ことによると、ハイドン自身によるオリジナル管弦楽版弦楽四重奏編曲のまっさらな再現の方が、ステージから聴いた回数としては少ないかも。
 
この日のアタッカQに拠る再現も、世界屈指の美術館のオーディトリアムでの演奏に相応しい演出を伴っていた。ステージ上の奥には巨大なスクリーンが設置される。そればかりか、上手と下手にも小さなプロジェクターが2面づつ並ぶ。幸いにもニューヨーク・タイムズの批評に演奏するアタッカQの写真が掲載されており、その背景の巨大に掲げられたスクリーンもはっきりと写り込んでいるのがお判りになろう。
http://www.nytimes.com/2015/04/04/arts/music/review-haydns-seven-last-words-of-christ-by-2-string-quartets.html?_r=0
 
背景は静止画ではない。演奏の推移と共に巨大な枝の上で色彩や形が変化していく、映像作家の手になるヴィデオ・アートである。見ようによっては、血が流れたり、花や葉が移ろっていくようにも感じられる、音楽と映像の間の関連は、あるといえばある、ないといえばない、といったところか。いずれにせよ音楽の説明ではなく、あくまでも聴衆の感性に訴え掛けるもうひとつのアート作品だ。
 
小さな4面モニターの役割は全く異なっている。低いところに設置された2面には様々な聖書マニュスクリプトから演奏される受難の言葉の部分が、その斜め上の2面にはこのミュージアムが所蔵する中世から現代までの受難を描く絵が映し出される。ある意味、極めて説明的な映像群だ。それにしても、これだけの映像をあっさり用意出来てしまえるのは、ここメトロポリタン美術館だからこそであろう。アイデアとしては簡単に出せても、実際に画像を調達したり権利関係をクリアーするのは怖ろしく面倒なことになろうから。
 
そんな演出が効果的だったか、意見は分かれるところかもしれない。筆者自身は、背景のヴィデオ・アートはときに音楽への集中力を欠かせる部分もあったものの、聖書の受難の言葉のマニュスクリプトに関しては極めて説得力があると感じた。是非とも映像として残して欲しい「総合芸術」であった。
 
当媒体の読者諸氏にとって、この演奏でそんな演出面よりも遙かに重要なことがある。なんと、アタッカQが演奏した《十字架上の七つの言葉》の楽譜は、普通に演奏されるハイドンの手に拠る編曲ではないのだ。チェロ奏者アンドリュー・ヨーが作成し、練習の過程でアタッカQの他のメンバーも様々に議論しつつ仕上げていった、「アタッカ版」とも呼ぶべき全く新しい編曲楽譜だったのである。
 
アタッカQの面々に拠れば、この編曲は彼らの「ハイドン68」プロジェクトから辿り着いた必然だった。ハイドンの充実した弦楽四重奏書法に真剣に取り組み、その語法に慣れ親しんだアタッカQとすれば、極めて意欲的な作品50と安定しつつも多彩な表現を盛り込んだ作品54及び55に挟まれた作品51を眺めるに、この時期のハイドンの弦楽四重奏作品としてはどうにも物足りなく感じる部分が多かったという。そんなわけで、これまでこの楽譜を演奏をしないで来たアタッカQだが、今回の演奏を前に、「ハイドンおたく」のヨーがハイドン自身が手掛けた《十字架上の七つの言葉》のオーケストラ版やオラトリオ版を参照しつつ改めて弦楽四重奏版を見直し、弦楽四重奏版でハイドンが捨てた声部や和声を復元していったという。
 
誰の耳にも明かな変更は、オラトリオ版にのみ存在する各曲前の短いコラール(イエスの言葉そのものを歌う)も弦楽四重奏に編曲されていること。この部分の編曲が最も困難だったと語りつつ、ヨーは「ハイドンがこの曲で書かなかった音符はひとつも含まれていません」との断言してくれた。
 
個人的には、どうしても第1ヴァイオリンにばかり耳が行ってしまう各アダージョ楽章のあちこちに補強された対旋律が興味深い。結果として、響きに奥行きが増し、いかにもハイドン最盛期の弦楽四重奏らしい音楽に聴こえてくるのである。幸いにも、この演奏会に遇わせて会場で発売となったアタッカQの同曲録音CDが存在している。正直、実際に会場で聴いた際には、スピーカーでの再生よりもより改定箇所が明快に感じられた気がする。恐らくは、「どこが違っているのだろう」という筆者の会場での聴き方に問題があったのであって、落ち着いて聴けば録音に収められた演奏のバランスがより正確なのであろう。極めて自然に、これ見よがしな変更を感じさせない音楽となっている。海外のディスクレビューも絶賛だが、楽譜の改訂に関してはそれほど触れていないのが興味深い。
https://muzewest.wordpress.com/2015/04/01/review-attacca-quartet-haydn-the-seven-last-words-of-christ/
 
 
連休前の晩の演奏会が終わったのは、午後8時207分くらい。マンハッタンはまだまだ宵の口だ。アタッカQやその家族と一緒に、楽屋口からの公園の反対側は西74丁目にある昔バーンスタインが住んでいたというアパートに向かう。レジデンシィ打ち上げのパーティだ。途上、ヨー氏に立ち話でインタヴューさせていただいた。以下、些かお疲れ気味だが、お酒が入る前からもうご機嫌なアンドリュー・ヨー氏である。
 
――具体的に、ハイドン版とはどれくらいの違いがあるんですか。例えば、ペーターズ版とかの《十字架上の七つの言葉》の楽譜を持ってきて並べると、全然違う曲に見えるんでしょうか。
 
ヨー:耳で聴いていると同じですけど、40から50箇所の変更はあるんじゃないでしょうか。
 
――あ、全然違う、ってところもありましたよね。
 
ヨー:ええ、例えばチェロとヴィオラが同じオクターヴで弾いているところを違えたり、合唱パートを参考に二重奏を加えたり。とても重要だけれどクァルテット版からは全く消えているフルートの声部があって、それを復活させたりしています。オラトリオ版では合唱がとても大きな働きをしています。それらを加えました。第2導入は全く存在していませんし。
 
――この部分は是非とも聴いて欲しい、という箇所は。
 
ヨー:第2導入、それから第5ソナタ(「私は乾く」)ですね。ハイドンのヴァージョンでは、ふたつのヴァイオリンで聴こえるのは「♪ぴぱぱぱぴぱぱぱ」ってだけのところ(笑)。
 
――ああ、どの演奏でもそこしか覚えてない箇所(笑)。
 
ヨー:そこにヴィオラとチェロの声部を加えました。あの部分は、上手くいったんじゃないかな。
 
――それはオラトリオ版にあるのですね。
 
ヨー:ええ、私が加えた声部の全ては、ハイドンが書いたものです。私自身が創作したものはひとつとしてありません。
 
――武満さんがビートルズの曲をギターに編曲しているのですけど、あれは楽譜を眺めずに、耳で記憶したものから書いたといいます、そういう「編曲」ではないわけですね。
 
ヨー:違います。全てハイドンです。
 
――なるほど。個人的には、ハイドン版よりも遙かに立派に聞こえました。勿論、演奏もあるのでしょうけど。
 
ヨー:ありがとう御座います(笑)。私としては、自然に聴こえて欲しいと思っているのです。アレンジではなく、本当の弦楽四重奏曲として響くようにしたかった。
 
――ハイドンが手紙とかで「好きにアレンジしろ」とか遺してないんですか。
 
ヨー:ないですね(笑)。ですが、私のやったことは理解してくれると思います。
 
――当時は珍しいことではなかった。
 
ヨー:そうです。誰かが変えたいと思ったら、自分の楽譜を作っていたでしょう。それは今よりももっと普通に行なわれていたことです。これは私たちの版、ということ。
 
――所謂「オーセンティシティ」というものをどう評価なさいますか。
 
ヨー:私は自分がオーセンティックなことをしたとは思っていません。オーセンティックでありたいならば、オーケストラ版を演奏すべきです。どんな版であれ、そこからのアレンジなのですから。ハイドンの楽譜と多くの時間を過ごし、私はますますハイドンを尊敬するようになりましたよ。
 
――なるほど。ありがとう御座いました。

メトロポリタン美術館のコンサートシリーズは、基本的に北ウィング2階のオーディトリアムで開催される。開場時間は美術館終演後となるので、こんな通用門のようなところから入ることになる。他にも、広大なロビーを使ったダンスや、宗教建築を移設した場所での教会音楽なども。

第85回

敢えて楽譜に手を加える:

アタッカQ《十字架上の七つの言葉》

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版

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