今日のグルーヴ〈182〉
いくら練習しても上達しない時、それは奏法に問題がある場合が、ほとんどである。不自然で無理な奏法でいくら浚っても満足のいく演奏ができるようにはならない。
そういう奏法で何年も何年も費やしているのは本当に勿体ない。身体を壊しかねないし、そのうち演奏自体が困難になってしまうことも多々ある。
同じ楽曲でも弾ける人がいて、自分が弾けない場合、それを才能の問題だと片付けている人がいるが、そもそも才能とは何だろう。才能の実態とは何か。
才能というと、何か高尚なものを感じるが、それは偶然の産物のように思える。
天才は電線であると言った人がいるが、言い得て妙である。
そもそも、才能らしきものがあったとして、それに頼っていたら、いつかは弾けなくなる可能性がある。
それは演奏法に自分なりの客観的な確固たる裏付けがないからである。そんな頼りないものに縋っていてはならない。
自分が演奏している時、どのような奏法なのか、あるいはどのような奏法をしようとしているのかを客観的に分析していれば、調子の波は小さいはずである。
あのメニューインは、天才ヴァイオリニストとして、少年時代名声を博したが、その後、演奏法を研究し、ヨガ等を実践していた。また指揮や教育者としての活躍も大きかった。
同じ人間であるならば、多少の体格の違いがあろうと、それはたいした違いではないし、間違った努力をしなければ、誰でも満足のいく上達をするはずである。
勿論、誰もがボルトのように速く走ることはできないであろう。しかし、楽器はオリンピックではない。その人だけの世界を築くことのできる領域である。
つまりオンリーワンの世界である。その意味で、誰もが満足できる世界であるしまた、そうならなければウソである。
今日もグルーヴィーな一日を。