今日のグルーヴ〈233〉
私が高校生の頃、文系と理系に分けて教育が行なわれていたが、現在も、そのような教育が行なわれているようだ。
進学教育の便宜上、高校では文系、理系と分けているように思えるが、このような分け方は、偏った教育であると思う。
この問題は、大学の学部の分け方の問題につながるだろうから、そう簡単には変えられないだろう。しかし、もっと言えば、学問というものは、本来文系、理系と分けて良いものではない、と思う。
私がかつて取材でお会いした糸川英夫氏も、武谷三男氏も、いわゆる理系の方ということになるのだろうが、彼らはそのような簡単な言葉で分けられるような方では当然なかった。
糸川氏は、日本のロケット開発の父であり、相模原のJAXAには、彼の若い頃の写真が実物大で飾ってある。東京・六本木にあった彼の仕事場である組織工学研究所に行ったとき、もっと機械のようなものや実験室のようなものがあるのかと思ったら、どちらかというと書斎の雰囲気で、しかも、チェロが置いてあった。
彼は多趣味で有名だが、チェロを弾くことも楽しみに一つであった。それだけではない。彼は戦後間もない頃、独力でヴァイオリンを作ったのである。
そのヴァイオリンは、波動方程式なる方程式に基づいて作られたものである。その波動方程式は彼の著作物『八十歳のアリア』にあるが、一目見ても何が何だか分からない。この方程式を理解するには10年かかると言われたものだが、そもそも音楽と数学とは相性がいい。
なにしろ、そのヴァイオリンは信じられないほど鳴るである。あまりに鳴りすぎるので、一般化しないのかもしれない。
それはともかく、ここでは芸術と方程式とが繋がるのである。
武谷三男氏の研究所に行ったときも、実験装置のようなものはなく、文献だらけであった。湯川秀樹らと一緒に原子物理学を研究された理論物理学者である。
何故、彼を取材したのか、理由を忘れてしまったが、彼も音楽に造詣が深く、あるピアニストの演奏やあるピアノメーカーの批判をしていた。
三段階論と技術論からなる科学的方法論の武谷理論で有名な方で、どちらかというと、物理学者というより論理学者なのではないか、と思ったものだ。
彼のたくさん著作物の中で、私は取材前に『思想を織る』を読んだのだが、この本では、あらゆる情報や学問で新たな思想や科学が生まれていく様を描いているのだが、それはあたかも糸によって縦横無尽に織物が織られるようなものである。
この本を読んだことが、文系理系の分け方に疑問を持ったきっかけである。
お二人とも世界的な科学者であり、卓越した趣味をもち、文章の達人でもあった。